許煜「危機の百年」(One Hundred Years of Crisis by Yuk Hui)へのレビューと抄訳

石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)
18 min readApr 26, 2020

[2020年5月12日改訂]

その日[第三次世界大戦]が来る前に、そしてさらに深刻な大災害によって私たちが(すでに薄々感じられる)絶滅に近づく前に、コロナウイルスとの共存を単に主張するだけでなく、「有機的」グローバル免疫システムがどのようなものになるかを問わねばならない。

E-flux Journal #108 — April 2020に掲載された許煜 (Yuk Hoi)の論文「危機の百年」(One Hundred Years of Crisis)の内容を紹介する。非ヨーロッパ人である日本人の情報アーキテクトとして感じ入るところの多い論文だった。レビューと抄訳をお届けしたい。

[6月13日、ゲンロンαに全訳が出ました🎉 【特別掲載】百年の危機|ユク・ホイ 訳=伊勢康平

レビュー

コロナウイルス、グローバリズム、国民国家や国連の問題、それらが「技術」への文明論的な問いへと還元される。非ヨーロッパ的な技術を多様に発展させていくことが、環境破壊的な文化から自然共生的な文化への転換にもつながり、パンデミックのリスクにも強いグローバルな連帯を実現するのだという。そして、そのためにはオルタナティブな情報圏の開発が重要なのだという。

論旨のダイジェストは以下のようになる:

  • グローバルなパンデミックを克服するには、国家単位ではなくグローバルな免疫システムが必要である。
  • しかし、国連・WHOからのトップダウンなアプローチは機能しない(現に機能していない)。国連・WHOを構成する要素は国民国家であり、それらは決して一つにならないからである(現にWHOを巡って米中は対立している)。
  • したがって、異なるアプローチが必要になる。それは、地域に根差しつつ国境を越えていく連帯を、グローバル規模に拡大していく、というボトムアップなアプローチである。
  • そのためには、新たなコラボレーションを可能にするオルタナティブな技術が必要となる。それによって情報圏を開発していくことが、グローバルな連帯の鍵となる。

では詳しく見ていこう。

コロナウイルスは現在の世界秩序体制(国民国家と国連)の欠陥を露呈させた。国境封鎖は気休めでしかないし、WHOはパンデミックを防ぐことに役立っていない。人類には新たなグローバル免疫システムが必要である。真に国民国家の限界を超えたグローバルな連帯が必要である。許煜は、国境を超えた「具体的な連帯」を実現するためには、人間と自然を結びつける「具体的な技術的対象」としての情報圏を開発することが重要なのだと論じる。

しかし、ここで言われている情報圏とは、シリコンバレーを中心としたグローバルでユニバーサルな、つまり一元論的で一神教的な情報圏のことではない。もっと簡単にいえば、TwitterやFacebookのようなソーシャル・メディアのことではない。むしろそれとは異なるオルタナティブな情報圏がたくさん生まれてくることを意図している。重要なのは「技術多様性」であり、技術の多様化を通じて人の生き方や住まい方をも多様化していくことなのだ。

なぜ技術の多様化が重要なのだろうか。そもそも技術一元論的な文化とは、要するにヨーロッパ(の思想・技術・文明)のことなのだが、それが経済成長、軍拡、環境破壊へと邁進するすべての国民国家(つまり今の世界)のあり方を規定しているのだという。そして、そのような文化の一つの帰結がコロナウイルスなのだという。(ここで一般に「地球温暖化で伝染病のリスクが高まる」と指摘されていることを思い出してもらいたい)

技術一元論的な文化(つまりヨーロッパ)は、地球を「利用可能な資源」としかみなさず、環境破壊を省みない文化なのだという。技術の多様化とは、自然と共存できる非ヨーロッパ的な文化を、この地球上に増やしていくことを意味する。

これは文明論的なスケールの議論だ。許煜はヨーロッパと中国の違いを宇宙論のレベルで論じるために「宇宙技芸」(コスモテクニクス)という造語を用いる。あらゆる技芸(「技術」より広義で用いられている)は、それを生み出した文化の宇宙論との相関において理解されなければならない。抽象的で普遍的な世界共通の「技術」なるものが存在するという考え方は幻想なのだと説く。そして、まさにそのようなヨーロッパ的幻想を「技術一元論」(モノテクノロジズム)と名指して批判している。

その上で、国境を超えたグローバル免疫システムという「具体的な連帯」を実現するためには、情報圏の開発が重要なのだと論じている。これはつまり、情報圏もまた個々の文化に固有の(日本なら日本の)宇宙論に基づいて開発することができるし、またそうすべきだということだ。世界中で非シリコンバレー的・非ヨーロッパ的な情報圏を多様に作っていくことによって、多様な文化がグローバルに連帯する未来につながる。そして自然とよりよく共存できる文化も増えていく。

これは極めて具体的な実例に結び付く。インフォデミック(情報の氾濫による社会混乱)だ。日本あるいは東京に住む人々が、欧米都市のロックダウンをマスメディアやインターネットを通じて知り、まるで自分ごとのように受け止め、そして数週間後には自身の住むところも同じ状況になりかねないと感じ、半ばヒステリー状態になっていた時期があった(私自身も少なからず不安を感じていた)。もちろん未知のことも多い新種のウイルスであり、十分に警戒すべきではあった。しかし、東京とニューヨークでは地理的・文化的・経済的などの様々な条件が異なるという事実を忘れてしまってはいなかっただろうか。

このインフォデミックは、まさに土地や文化の固有性と切り離された技術一元論的な文化の情報圏によって成立した。距離を抹消し、「どこにいても関係ない」コミュニケーションを可能にする技術とは、まさに移動可能で取り外し可能な「抽象的な技術」そのものであり、それが可能にするのも抽象的な「人類」なる虚構に依拠した(つまりは何の実在にも依拠しない)ポピュリスティックな「抽象的な連帯」だけである。真の連帯は、それぞれの地域性に根差した「具体的な連帯」でしかありえない、というのが許煜の主張である。

もちろん、これは単に「世界中の情報が入ってくるのが悪いならインターネット上で『鎖国』すればいい」という話にしてはいけない。それでは言論の自由がない中国のインターネットと一緒ではないか。そういうわけで、これは難題なのだが、まさにこの難題への解答こそ、許煜が情報圏の開発の成果として求めているものの一つだろう。(もしかして、2ちゃんねる、ニコニコ動画などの「日本的」コミュニケーション・プラットフォームに、何かの可能性があったのだろうか、などと考えさせられてしまう)

さて、許煜は論文の最後で希望を示している。このコロナ禍を奇貨として、将来の「具体的な連帯」に必要な技術を開発していくことができるか。それができれば、技術一元論的な文化から脱することができるのだと。

例えば、いまオンライン授業やリモートワークを強いられている状況の人々が、これを機に、かつてない規模のグローバルなコラボレーションのシステムを作れるか。それができれば「具体的な連帯」の礎となるはずだ。パンデミックに対して機能不全の国民国家や国連とは異なり、有効に機能するグローバル免疫システムも可能になるだろう。

そのグローバル免疫システムなるものを、もう少し具体的にイメージしてみたい。おそらく許煜は、オープン・ソース的、リナックス的、ウィキペディア的なコラボレーションによる問題解決システムのようなものを想定しているのではないだろうか。というのも、論文中ではそれらが名指しで批判されている。これまで数十年間、技術一元論への奉仕しかしてこなかったのだと。これは期待の裏返しでもあるだろう。

その「コラボレーション」は、「ハッシュタグでオンライン・デモ」といった祝祭型の運動ではない。インパクトの大きなイベント一発やれば済むというものでもない。もっと持続的で組織的な「コラボレーション」であり、現実に何らかの問題を解決するという意味で(たとえ非営利だとしても)「ビジネス」でもあるだろう。

そう考えると、東京都新型コロナウイルス感染症対策サイトがGitHub上で不特定多数によるコラボレーションによって開発され、またそれが全国各地のローカル・バージョンへ派生していった事例は興味深い。社会におけるこのサイト自体の価値は正直よく分からないが、それが開発された過程のコラボレーションのあり方は、じつに有意義だったとは言えないだろうか。来るべきグローバル免疫システムへの小さな一歩だったと。

グローバル免疫システムやオルタナティブな情報圏といった構想は、決して技術のみの問題ではない。人の生き方や住まい方のモードを(非ヨーロッパ的に、脱技術一元論的に)変えることにも関わる。だからこそ「具体的な技術」なのであるし、だからこそ「具体的な連帯」を可能にするのだ。その意味で、これは技術運動であると同時に、思想運動やデザイン運動でもなければならない。新たな技術を導入するだけでなく、人々の価値観や生活様式も変えなければ意味がない。さもなくば技術一元論へのオルタナティブにはなりえない。

一例として、接触追跡技術によるコロナウイルス対策の試みについて考えてみよう。AppleとGoogleが共同で推進しているプロジェクトだ。このような監視技術を国家権力が導入することに対して、従来からプライバシー上の懸念や批判が表明されてきた。言うまでもなく「プライバシー」という概念はヨーロッパのものだ。幸か不幸か日本社会には根付いていない。GDPR(一般データ保護規則)によって強力なプライバシー保護が実現されたEUと、日本の個人情報保護制度やその運用実態とを比較して、我が国の「後進性」に嘆く人も少なくないだろう。(リクナビDMPフォロー事件は記憶に新しい)

日本はプライバシー後進国だと言われても仕方ない。ただし、それだけでもないはずだ。そもそも「プライバシー」と「ワタクシ」の違いは、それぞれの文化の古代にまで遡る宇宙論的な違いだろう。日本が「プライバシー後進国」であることも、単に「後進性」で片付けていいとは思えない。日本はヨーロッパではないのだから、プライバシーを持っていない代わりに、別の何かを持っている(あるいは、持っていた)のかもしれない。

もしそういう論理が成り立つのであれば、「プライバシー」概念を生み出したヨーロッパとは異なる日本の宇宙論に基づき、接触追跡技術への日本的なオルタナティブを考えることもできるのではないだろうか。あるいは、そもそも接触追跡方式ではないオルタナティブな「情報免疫技術」の可能性も。

そして、繰り返しになるが、これは技術のみの問題ではない。人の生き方や住まい方の問題でもある。そして現状を肯定するだけではダメで、それらのモードを変えるという運動でもなければならない。もう少し踏み込んで言えば、ヨーロッパ人と日本人とで、人生観や死生観は同じだっただろうか。現在はそれほど大きな違いがないように思えるかもしれないが、では百年前や千年前はどうだったか。日本は明治の文明開化で技術一元論的な西洋文化を輸入し、同時に古い日本文化を捨ててきた。しかし、いまだにまとわりついているものも多い。

そのような歴史的・文化的な条件を踏まえた、非ヨーロッパ的なコロナウイルス対策を考えることは有意義だろう。それが日本で上手くいったら、他国に輸出できるかもしれない。ヨーロッパでは役立たないかもしれないが、アジア諸国ではどうだろう。そのような形でのグローバルな連帯、グローバル免疫システムの拡張も、ありえるのではないだろうか。

とはいえ、これはあまりに大きな課題であり、これ以上ここで論じることは難しい。一旦ここで締め括っておくことにする。

(蛇足だが、いわゆる「封建遺制」を「肯定」する「反動的」で「保守的」な言説に見られても仕方ないと思う。まさにそのような批判者の「進歩的」な立場、つまりはヨーロッパの近代性を絶対視する立場こそが「技術一元論」であり、許煜の批判対象なのだから、これはもう相容れないだろう。さらに言えば、許煜の議論の欠かせない一部に儒教がある)

抄訳

以下は One Hundred Years of Crisis by Yuk Hoi の抄訳:

§1. 「精神の危機」100周年

  • 国民国家がグローバル免疫学の実現を妨げている。(※許煜は国境封鎖に批判的である)
  • 啓蒙主義以来、一神教に代わって技術一元論(mono-technologism)(または技術神学)が台頭した。

§2. ヨーロッパのシュミットは何百万もの幽霊を見ている

  • 人種差別のすべての形態は基本的に免疫学的である。
  • カール・シュミットは政治的なものの概念を「友」と「敵」の二分法であると論じた。また、国際連盟は「人類」なる脱政治的で抽象的で実在しないものを世界政治の根拠として誤認していると批判した。
  • 国民国家に基づく国際統治体制の限界が露呈している。国連は第二次世界大戦を防げなかったし、 世界保健機構(WHO)はパンデミックを防げなかった。(※その上で、この論文では、ありうるグローバルな連帯の形が問われている)

§3. 技術一元論の悪い無限

  • カール・シュミットの言う通り、「人類」の名において結成された国際統治機構は、国民国家を廃止しないのだから、戦争をなくすこともできない。むしろ新たな戦争を可能にし、戦争への障害を取り除きさえする。技術一元論的な経済競争と軍拡にのみ奉仕する。人々を大地に根差した地域性から根こそぎにし、近代国民国家と情報戦争(infowars)によって形作られる虚構のアイデンティティに置き換える。
  • 冷戦後の経済競争は、破滅へと突き進む技術一元論的な文化に帰結した。それは地球環境を破壊するだけでなく、それとは異なるやり方=技術多様性(techno-diversity)を排除する。技術多様性とは宇宙技芸(cosmotechnics)の多様性である。(※人類学の多自然主義や存在論的転回を踏まえた議論)
  • 政治を上書きするために経済的および技術的手段を使用する現在の競争形態は、しばしば新自由主義に起因するが、その近縁であるトランス・ヒューマニズムは、政治をそのうち技術的加速(※加速主義)によって乗り越えられるべき人間主義的認識論にすぎないと見なしている。我々は近代性(modernity)の袋小路にいる。誰もが生き残るためにこの悪質な競争(悪い無限)から降りることはできない。
  • コロナウイルスは我々の針路を問うている。ジャック・デリダは「歓待」(hospitality)という第3項を用いてシュミットの友敵理論を脱構築した。カントが『永遠平和のために』で論じた「歓待」は(柄谷行人によれば)マルセル・モース的贈与経済によって可能となる。そのためには主権(国民国家)の廃止が必要であり、具体的には第三次世界大戦の後に、国連よりも強力な国際統治機関を設立しなければならない。
  • その日[第三次世界大戦]が来る前に、そしてさらに深刻な大災害によって私たちが(すでに薄々感じられる)絶滅に近づく前に、コロナウイルスとの共存を単に主張するだけでなく、「有機的」グローバル免疫システム(あるいはペーター・スローターダイクの造語である共免疫)がどのようなものになるかを問わねばならない。問題は、我々が国民国家の論理に従う限りはそこに到達できないことだ。(※共免疫主義(co-immunism)は共産主義(communism)にかけた造語)

§4. 抽象的な連帯と具体的な連帯

  • コロナウイルスとの戦いはなんと言っても情報戦争である。敵は不可視であり、情報として可視化されるだけである。戦況は情報の収集・分析能力と、効果的な資源動員にかかっている。
  • コロナウイルスとの戦いは、虚偽情報や欺瞞情報に対するポスト真実(post-truth)的な戦争でもある。情報戦争は単独国家では太刀打ちできない情報圏(infosphere)における広がりを持つ。異なる情報圏の間の内戦という形も取りうる。
  • 真の共免疫は、次のグローバリゼーションの波を根拠とする具体的な連帯(concrete solidarity)から出発する。ジルベール・シモンドンは「抽象的」と「具体的」を技術的対象(technical objects)によって区別している:抽象的な技術的対象は移動可能、取り外し可能なもの。一方、具体的な技術的対象は人間界と自然界の両方に根拠を持ち、両者を媒介するもの。例えば、単純な道具、機械式時計、サイバネティック・マシン(後者ほどより具体的)。
  • 具体的な連帯のあり方として、情報圏の概念を二通りに拡張したい。
  • 第一に、情報圏の建設は、技術多様性を構築し、技術一元論的な文化を内部から解体し、その「悪い無限」から逃れるための試みとして理解されうる。技術の多様化は、生活様式、共存の形態、経済などの多様化も意味する。技術多様性がなければ生物多様性もない。コロナウイルスは自然の逆襲ではなく、技術一元論的な文化の帰結である。技術一元論的な文化は、地球を単なる資源とみなし、それを使い尽くそうとするからである。
  • 第二に、情報圏は国境を越えて広がる具体的な連帯と見なすことができる。このような具体的な連帯が生まれるためには、新たなコラボレーションを可能にするオルタナティブ技術の多様性が必要だ。
  • コロナ禍はデータ・エコノミーによるデジタル化と包摂のプロセスを加速させる。「元の生活」に戻ることはできず、あらゆる物事がデジタル技術によって根本的に再編成される。例えば世界中のほとんどの大学が、向こう数ヶ月間(あるいは数年間)ずっとオンライン授業をすることを、かつてない規模の本格的なデジタル機関を作る機会として捉えられないか。グローバル免疫学はそれほどラディカルな再編成を要請する。
  • デジタルな連帯は、技術一元論的な文化の悪質な競争から脱却することだ。オルタナティブな技術、オルタナティブな生のあり方、オルタナティブな住まい方などを通じて、技術多様性を生み出すことだ。

参考

許煜「中国における技術への問い — — 宇宙技芸試論 序論」(訳・解題:仲山ひふみ)は、単行本の序論だけが翻訳され、雑誌『ゲンロン7』『ゲンロン8』『ゲンロン9』に連載された(いずれゲンロンから全訳が出るようだ)。その中で許煜は「宇宙技芸」という概念を次のように説明している:

科学的かつ技芸的な思考は、人間たちとその諸環境のあいだの、決して静的ではない諸関係のうちに表現される宇宙論的諸条件のもとで出現する。この理由のために、私はこのような技芸の概念を宇宙技芸 cosmotechnicsと呼びたいと思う。中国の宇宙技芸の最も特徴的な例の一つは、たとえば、漢方〔薬〕である。漢方は陰陽や五行、調和などといった、まさしく宇宙論に見出されるのと同じ原理と術語とを用いて身体を記述するのである。

また、許煜は2019年8月20日にゲンロンカフェに登壇している。大変読み応えのあるイベント・レポートが公開されているので、興味があれば一読を勧める:

こちらは3月28日に私が書いた短いエッセイなので、もし興味があれば:

後日書いたもの:

ルチアーノ・フロリディ教授らによる「接触追跡アプリの倫理的指針」を翻訳しました:

6月13日、ゲンロンαに全訳が出ました🎉

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石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)

ソフトウェア開発者/情報アーキテクト(IA)/アート・ファン https://hideishi.com