「稼げない奴は子供を作るな」という社会

石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)
2 min readOct 2, 2016

このような「経済ゲーム」は、一見すると自然の摂理(ピュシス)とは関係ありません。人が勝手に作り上げたルール(ノモス)です。現代社会は、歴史の偶然で、たまたまこのように過酷な社会になっています。ですから、人の力でそれを簡単に変えることもできます。なにせ、単なる「決め事」の問題なのですから。

本当でしょうか?

ひょっとしたら、進化論的に「稼げる遺伝子」が選択される淘汰圧なのかもしれません。だとすると、「稼げない奴は子供を作るな」という社会は、「たまたま人がそう作り上げた結果」つまりノモスではなく、「暴力的な自然の摂理そのもの」つまりピュシスなのだと言うことができます。

そもそも「進化」というゲームは、初めから稀少性を巡る「経済ゲーム」でした(『利己的な遺伝子』)。生物以前の段階では、元素が争奪戦の対象でした。生命になってからは、食料、配偶者、土地、労働力、貨幣、承認の奪い合いへと、歴史的に展開してきました。いずれにせよ「稀少資源の争奪戦」こそが進化の本質です。経済ゲームは進化ゲームであり、本質的にピュシスなのです。

「稼げないやつは子供を作るな」というルールがピュシス(自然の摂理)なのであれば、人は甘んじてそれを受け入れるしかないのでしょうか。これは価値の問題です。政治の問題です。

ただ、一つだけ言えることがあります。純粋なピュシスの暴力を、人の意思と知識で克服することが「文明」です。これは文明論的な問いです。私たちの文明をどのように方向付けるべきか、という問いです。

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「稼げない奴は子供を作るな」という社会の状態を、ノモス(人の法)と見るなら、それは単に政治的に解決できる問題に見えます。しかし、ピュシス(自然の摂理)ならば、それは文明論的な問題になります。問題を過小評価していませんか?という問いです。

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石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)

ソフトウェア開発者/情報アーキテクト(IA)/アート・ファン https://hideishi.com